『医王寺の雨』〜栃木県・粟野町:デジカメあるばむ
(撮影:2004/10/3 SUN)

参道入り口からおもての道路をはさんで、雨にけむる田園風景。
すぐ西側には真名古山もかすんでいます。
晴れていれば、夕焼けの見事な場所なんですが・・・。

好きなひとたちに、わらぶきやねの古建築寺院として知られるけれど、ふつうの人にはあまり知られていない草深い田舎の古刹です。
あんまり歩きたくなさそうな配偶者を、ひろい駐車場の中に1台きりぽつねんと停まってる、うすみどり色したイプサムの座席に残したままで。
おおきなパステルカラーの傘の下、デジタル・カメラをぶら下げて歩きました。
普通、六道輪廻のすべてを救うための六地蔵のはずなのに、何故だか七体。
う〜ん、謎だ。

宇都宮を離れて鹿沼市近辺のいなか道を走ると、すっかり黄金色になった稲田、休耕田にゆれるセイタカアワダチソウの黄色い花、街道沿いのコスモスのパステル・カラーと、いちめんに続く白い花の咲くそばの畑が交互に出現して、霧に少しもやって綺麗でした。
クルマ止めを抜ければ、雨粒の音だけが支配する参道。
一歩、おもての舗装道路から足を踏み入れて来ると、
すがすがしい境内の緑が匂い立つ。
正面には仁王門が近づく。
赤松・コナラなどの木立に囲まれた境内には、リスなどの小動物も姿を現わす。
雨が、いっそう強くなる。
左右の木造金銅力士立像、像高は阿形235センチ・吽形244センチで鎌倉時代の作という、いかにも写実的で力強い。
杉材の寄木造り、彫眼古色仕上げ像。
吽形像の髻は、別材、頭部 は前後2材で、後頭部材のみ体部材と同材。
体部は4材からなり、両足もおおむね体部と同材だ。
それに両肩、両臂、両手首、両足先、天衣を寄せる。
整備費?!として200円入れて下さい・・・とか書いてある。
いつもフリーで入ってたはるるさん。

医王寺で、こんな箱は初めて見た。
どうしよう。
お財布と配偶者は、駐車場のクルマの中に置いて来ちゃった!
仁王門をくぐると、左手は山が迫る。
右手は一段低くなってこんな景色が・・・。
はるるの好きな、この空間。
数十年前には、何の予備知識も無しに、
このかやぶきの壮大な金堂と地蔵菩薩と対面したのだった。
感激した瞬間を、今でもありありと覚えてる。
医王寺金堂(北半田1250)は、寛文5年(1665)に再建され、桁行5間、梁間4間で正面に向拝1間を設けている。
屋根は、茅葺の寄棟造りで、その高 さは20メートルあまりあって、内部は、内・外陣・に分かれ、内陣に入母屋造りの立派な宮殿を安置し、薬師如来を祀っている。
内外とも、塗装・彩色が施され、江戸時 代における地方の特色がよく現れている大伽藍で、見事な調和が心地良い。
銅造の地蔵苔薩半跏像は、像高251センチ、寛政9年(1797)、山善太郎良藤原重政作の座像です。
地蔵苔薩で半跏像は、非常に珍しいらしい・・。
佐野天明の鋳造技術を伝えこれを造像の分野にまでひろげ、立派な像を顕造するに至ったことは驚くばかり。
つかのま、祈った。
医王寺 本堂(金堂)    
1665(寛文5年)
医王寺本堂を右に廻り込むと、正面に 唐門 と、その背後に講堂が。
医王寺唐門(県指定)    江戸初期
   講堂(県指定)    1692(元禄5年)
振り返ると、後ろから見た金堂の向こうに仁王門と深い木立。
医王寺唐門は、金銅の一段高い台地にあって、四脚門、入母屋造りで正面に軒唐破風を設けている。
江戸初期の建造で、細部は、日光東照宮陽明門の地紋彫り・ふ ぐら彫等と同じ手法を取る。
屋根の麻殻葺の柔らかい曲線と、繊細な彫刻に胡粉の白と垂木の朱や棧唐戸の黒色の調和は、ほんとうに優雅な門。
降りしきる雨の中の極彩色。
正面の青い竜は想像上の生き物。
けれど、左手の灰色の生き物は、
実物を見たことが無い江戸時代初期の職人さんが想像して彫った「ぞうさん」です
ーー世界遺産の日光・東照宮にまったく同じ彫刻が存在しています。
医王寺大師堂(正しくは弘法大師堂)は、唐門の西に東面して建つ入母屋造りの建物で、1間の向拝がついている。
外観は、金堂や唐門と同様の形態だけど、 正面に入母屋の妻を表して変化を持たせている。
内部は、弘法大師を祀る厨子を安置して、正・側面の舞良戸の内側に大らかな松・桜の大樹が描かれ、天井には花 鳥その他の彩色が施された、優美荘重な建造物になっている。
やさしい顔のちいさな「おじぞうさん」が六体。
大師堂のわきにひっそりと並んでいました。
雲のごとく
水のように・・

旅の空にある さすらいの修行僧を「雲水」と呼びますね・・。
右手の医王寺講堂の平面は26b×16bに及ぶ大堂で、真言宗の大法である伝法大会や、伝法灌頂等の道場として江戸初期に造営された。
寄せ棟カヤ葺き風銅屋根も豪壮で、内部は四周の入側、内陣、外陣の鏡板等に常法檀林(地方大学)の風格をよく伝えている。

中央奥に小ぢんまりとあるのは、現役のお手洗いです。
講堂の向こう側に見えるのが医王寺客殿(県指定)    1688(貞享5年)
大人数の宿泊施設にもなっていたらしい。
唐門の東側に、もうひとつの朱塗りの門。
こちらを出口に使いました。
表の参道に対して、それと並行して真っ直ぐに走っている「おんな坂」の道。
おもての道路まで通じています。
彼岸花☆まんじゅしゃげ☆地獄花・・・・様々な名前で呼ばれる秋の花。
雨の鐘つき堂・・・・背後は巨大な講堂の屋根。
別角度から、優美な唐門 の姿。
帰り道のひだり手は、こんな斜面。
竹林とサトイモ畑の間には、白い花の咲く蕎麦の畑が。
帰り道の「おんな坂」から、金堂を振り返る。
ちいさく、地蔵菩薩半跏像 のあたまも見える。
ぽつんと、カラスウリの赤信号に雨のしずく。
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