はるるさんが、アジア一人旅を初心者マーク付きで開始した、1980年代半ば頃の写真がごっそりと出て来たもんで、本人が写ってるものを中心に、ちょびっとだけストレートに素顔で公開してみます・・。
えへ。

(どうせ、20年近く経った今のおいらは「別人28号」だから判りっこないぜ!笑)←無意味な自信満々!涙

ただ、フィルム式のコンパクト・カメラで撮影したものなので、もともと画質は良くないし、それをさらに軽くするために画素数やサイズをコンパクトにまとめていますから、あまりきれいな形ではお届け出来ないのが残念。
これは、タイから初めて来た旅行者に、
香港の名所を案内してる、2度目の旅行者のはるるさん。笑
(いま、考えるとなかなかイイ度胸だと思います。汗)
マレーシア南端にある都市ジョホールバルの街中をいいかげん歩き疲れて、日本語観光バスの「ぱんだバス」をヒッチハイクしたところ。笑
この写真に写ってるガイドのリンダ・チャイ(蔡)に、「団体バスをヒッチハイクしたのは、あなたが初めてよ 」って、笑われたけど、ちゃんと国境の橋を渡ってシンガポール中心部まで乗せてもらいました。
香港→マカオを結ぶ高速フェリーの船室で。1987年。
マカオの高台にあった要塞跡で・・・前夜は、カジノのブラックジャック博打で半徹夜状態だったので、ぼお〜っとしてる。笑
チャイナタウンの外れにあるキングス・ホテルを常宿にしていた、もと有名通信社の記者で、アジア総局長などを歴任なさっていたD・Rさん。
この時は、すでに退職してシンガポールの英字新聞の編集局長として活躍してました。
彼の代表的な取材記事のひとつに「アジアの富豪たち」など。
これは、庶民の中華食堂で酒を酌み交わしてるとこ。
今はなき、香港のカイタック空港。
あの頃は九龍半島のビルのすれすれの処を、
ジャンボジェットがかすめて飛んで、
世界でいちばん着陸の難しい空港と呼ばれていました。
すぐ近くに、まだあの有名な魔窟「九龍城」がそびえてて・・。
あやしい夜景の美しさも百倍!!笑
タイのおじいちゃんと、女子大生の孫を香港で案内してる。
薄暗くて狭かった香港の空港。
猥雑さの極致だった伝説の九龍城なんかも、
このあとすぐに取り壊されたので、見られて良かった!
香港の中国返還を実行するため、大きなネックだったらしい。
シンガポールのおんなのこたちと、山頂にあるセントーサ島行きの空中ケーブルカー乗り場付近で。
この記念撮影の直後に、アイスクリームをおごってもらいました〜♪
まだ、タイガーバーム・ガーデンも入場無料だった。
マレーシア南端のジョホール水道を眺めながら、現地の兄ちゃんと、ギネスの黒で酒盛り☆
そのビールを飲んでいた店の外観。
ここから、海峡をへだててシンガポールが見える。
マレーシアの本屋さん。10坪くらいの個人商店みたいなとこ。
ろくな本がなかったので、絵葉書だけ買いました。
タイの寺院で、いっしょにサッカーして遊んだ。
バンコクの水上バスを運行してる、
チャオプラヤ・エクスプレス・ボート会社が、休日だけやってる格安の1日ボート・ツアーに参加して 、中国系の小金持ち一家と仲良くなり、ランチをごちそうになった処。
(なぜか、家族揃って創価学会の会員のひとたちでした。海外布教があるのは知っていましたけど、びっくり)
早い朝7:00出発して、帰って来るのは夕方の6:00〜7:00頃までたっぷりで、150バーツ。
バンパイン宮殿やサギのコロニーがある名物寺院、さらにアユタヤに向かうコースと、奇怪なオブジェのひしめく広大な寺を見物するコースなどに分かれていました。笑
1988年当時、外国人観光客の姿はあまり見当たりませんでした。
日本円で換算すると当時のレートで500円足らずの金額で丸一日楽しめる、バンコクの庶民たちの手軽なレジャーのようで。
バンコクに通い始めた最初の頃は、世界のオリエンタル・ホテルとして名高い、リバーサイドのテラスで川風に吹かれるのが好きで、バンコクを訪問するたびに利用していました。
もう、しばらく(10年ほど)前から寄り付かなくなっちゃったけどさ。笑
台湾・香港・タイ・シンガポールをストップオーバーしながら、1ヶ月かけて周遊してた時の写真。
チャイナ・エアの航空料金は、トータルで7万円くらいだったかなあ。
ゲストハウスに出入りしてたタイの高校生たちと。
みんなで、寺院にお祭りを見に行った☆
歩いて渡れるボーダーとして有名な辺境。
マレーシアとタイの国境、最南端の町スンガイコロク。
これは、はるるが宿泊した宿。